人生は連続である

学校をはじめ、社会に出てからも人生は常に入学と卒業、そして旅立ちの連続だと思う。

入学といえば、やっぱり小学校の入学式が思い出されるが、その頃の記憶は本人には以外とないものですね。

私もほとんど小学校の入学式のことは覚えていません。でも新しい友達がその日に事故にあったということだけは、なぜか覚えています。その子が遅れて入学式にやってきて骨折した足にギブスをしていた光景だけは頭の隅に残っているんです。不思議ですね。他の友人らに聞いてみるとその記憶があるのは私だけでした。

何か私なりにインパクトがあったのでしょう。

逆に卒業といえば、高校の卒業式を思い浮かべます。大学はいっていませんのでそうかもしれませんが、小学校や中学校の卒業式のことは全くといってもいいほど覚えていません。人によっては小学校だったり、中学校だったりするようですが、私の場合は高校でした。

高校生活が充実していたし、そこで得た思い出がたくさんあったからだと思います。普段人前ではあまり泣いたことがありませんでしたが、高校の卒業式だけは、涙が止まらなかった事を覚えています。

余談ですが、学校=修学旅行という方もいるのではないでしょうか。私も修学旅行の思い出は今でも記憶に新しいですね。とはいえ具体的なことは何もハッキリとはしないものの、みんなで泊まった楽しかった思い出として残っているのだとおもいます。

そして・・・・・旅立ち

旅立ちというと、社会人一年生 という気がしますが、必ずしもそうではないと思います。

社会人になると、いろいろな障害やジレンマが重なり、誰もが挫折を味わったりつらい現実に突き当たることが多々あるでしょうね。そうして最初に勤めた会社をやめ、次のステップに繰り出すことになりますが、人生とは繰り返しの連続、という言葉通り、何度も何度も同じストレスを感じることになります。

ある程度の社会経験を積むと、自然に自分の立場がわかってきますよね。自分に必要な人間や周りの環境、そして出合う人によっても変化が激しくぶつかり合ってしまいます。そうして自分のマインドをコントロールできなくなってしまう人も最近では非常に多く、ひきこもりや鬱になってしまったり最悪の場合は社会不適合者となってしまうわけです。

これはいつ誰に起きてもおかしいことではありません。明日はわが身ということを覚えておかなくてはなりません。一般的に、同じ会社に長く勤める人が上へと上がっていき、社会的に安定している人間だとか立派に務めているなどと評価されがちですが、実際は違った景色をよく目にします。

用はその人の人間性の問題もありますが、広く浅くと狭く深くを考慮しバランスの取れたスタンスが重要だと感じます。芯がしっかりしている人はたとえ何をやっても成功し結果が出るのではないでしょうか?人生を変えるのは自分だと気づく人はどれくらいいるでしょうか。

旅立ちはいつも 毎日のように迫っているものだと感じます。そして自分にだけはうそをついてはいけないと思います。自分についた嘘は自分にしかわかりません。自分に厳しくできる人こそ他人には優しいままでいれるはずです。

今日が新たなスタートです。これをもし読んであなたがそう感じるのであれば、あなたにはいくつもの未来があるでしょう。

 

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